毎日を生きる、そして活きる

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発達障害。うつ。無職。引きこもり。日々の思考や行動を書いた日常系がメインで社会復帰に向けての奮闘ブログです。その他発達障害関連や処方薬レポート、プログラミングなどの記事を書いてます。

【日常】【鬱】【発達障害】久しぶりの更新。わかった事・わからない事。

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ダメだった。

更新がしばらく滞りました。

これからは毎日更新していこうと思うが、これまでの内容とは大きく変わる。

何故かと言うと、私は何もできない人間になり感情のコントロールが難しくなっているためである。

そのために、感情の整理をするための内容が主になるだろう。

そして、それを記録しデータを取っていきたいと思う。

 

まずは頭の整理をしたいため、過去に起こった事から現状までの事を書いていこうと思う。

 

 

精神科を受診

2017年10月の終わり頃か、11月初め辺りに精神科を受診した。

理由としては、周りとの意思疎通、コミュニケーションに強い違和感を感じたからである。

また自分でも何故にこの言葉を発言してしまったのかと思う事が多くなってきたので精神科を受診する事を決意。

そして、事前にインターネットで調べていて感じたものがアスペルガー症候群に当てはまるのではないかと思っていたので、その事を医師に話をして「WAIS-Ⅲ」を受ける。

所謂IQテストな様なもので様々な形式のある検査を日を跨いで何回かに分けて受け、約2ヶ月後に診断結果が出される。

 

神経発達症と診断された。

2018年1月11日に神経発達症と診断された。

ja.wikipedia.org

上記に似た言葉で発達障害がある。

ja.wikipedia.org

 

違いは発達障害よりも広範囲を指す言葉らしいが詳細は調べてみてもよく解らない。

知っている人がいたらコメントで教えてほしい。

 

 

結果はアスペルガー症候群とは診断されずに、ADHD自閉症スペクトラム症の神経発達症という診断だった。

そして全検査IQ75という事も解った。

知的障害が70未満で75は境界領域/ボーダーライン(70~79)と言われている。

知的障害なのか健常者なのか判定されにくいためいそう言われている。

検査を受ける心理的状況や環境等によって変動があるため、もう一度検査を受けるとまた違う結果が出る可能性があるために判別が難しいらしく境界領域とされているらしい。

 

これらの結果を受けて私はIQ75という結果の方が精神的ダメージは大きかった。

神経発達症に関しては受け入れる準備が出来ていたが、むしろ自分が思っていた通りの結果がでたから安心した部分もあったぐらいだ。

自分が感じていた問題だったり生きづらさと言えるような原因が解れば対応策を考える事が出来ると思っていたからである。

しかし、IQ75という結果は自分で対応策・解決策を見つける事の出来ない人間だと言われたような気がしたから精神的ダメージが大きかった。

それでも対応策を見つけようと神経発達症よりは情報が多い発達障害で色々と調べていた。

だが無理だった。

 

 

休職

2018年3月5日(月)適応障害によるドクターストップが施された。

3月1日に私は業務が終わり次第に精神科に駆け込んだ。

理由は昼にお金を降ろそうとATMに向かったがいつも使用している銀行口座の暗証番号が思い出せなかったからである。

明らかに自分の脳に異常事態が起きている。しかしどうしたらいいのかわからずに医師に判断を仰ごうとしたのである。

今考えると相当に疲労していたのだと思う。

医師にはこういう状態が起きていると伝えるだけで、どうしたい、どうしたらいいのかとかの発言はしなかったのである。

医師は私の発言を聞いた後にすぐに休むように言い、私は言われるがままにしていた。

自分でどう判断、処理をしていいのかわからずにいたのである。

ただ、客先常駐型の派遣をしていて職場に少しばかりの私物を置いていおり、その日が木曜日と言う事もあったので荷物整理をしたいと思い、翌週の月曜日から休職をする旨の診断書を書いてもらった。

金曜日に職場に行き、普段と変わらないように振る舞いながら業務時間が終わり次第、雇用契約をしている自社に足を運び事情を話して月曜日から休職をする事となる。

客先にはあまり支障はなかったと思う。

このような状態であるがために私に任されているような仕事はないに等しかったからである。なぜこのような事をしているのか解らないような事をしていた。Javaで作られたシステムの改修要員で呼ばれたはずだが、途中から休職するまでの間はExcelで作られた事務処理に使われるようなVBAで構成されたプログラムを見るだけの日々が続いていたのである。そこから何かを作るわけでも、改修をするわけでもない。ただ見るだけ。

そんな毎日だったために客先の業務に支障を来すような事はなかったと思う。

何故に今までその客先にずっと置かれているような状況だったのかは今でも解らない。

 

こうして私は就職をして半年近くで、

いや、たぶん、何も出来ない状態はここに就職するより前からかもしれない。

それを自覚して本格的に休みを取ることになる。

 

 

地元に帰る決意

会社からは休みを取れる猶予としては3ヵ月と話をされた。

細かい部分は忘れてしまったが、半年間しか働いていない為に傷病手当金支給は3ヵ月までだと話をされた。

3カ月後は無理に出勤する必要はないが、休んだ場合は欠勤扱いでその日分の給料は発生しないとかそんな話だったと思う。

そんな話をされて私は地元に帰る決断をした。

回復する自信がなかったのである。 

神経発達症(発達障害)であるために、今に始まった事ではない。

昔からある症状が今になって原因は不明だが表立って目立つようになったのだから、相当な過去に遡って考える必要があると思い、それには時間が掛かる行為であり3ヵ月程で回復できるような事ではないと判断したからである。

それに、貯金もないため早めに実家に帰省をしないと首が回らなくなり、それこそどうしようもない状況になるのは考えずともわかったからでもある。

 

こうして、休職をし始めた2ヶ月後に私は地元に帰る。

 

 

今でもフラッシュバックする恐怖な出来事

それは、地元に帰る一週間前から引っ越し当日までの期間に起きた出来事である。

地元に帰るわけだから当然荷物整理がある。

大きい荷物に関しては、引っ越しをする3週間ほど前にクロネコヤマトの単身引越サービスを利用した。

 

細かい荷物に関しては、日本郵便ゆうパックを利用しようと思っていたのだが

 

荷物整理が出来ないのである。

 

何を捨てるべきか、何を送るべきなのかの判断が出来ないのである。

時間はあるのだから、出来る日にやろうと思うのだが全然その日が来ないのである。

そして引っ越し一週間前になるのだが全然出来る様子がない。

焦りばかりが出てくる。

とりあえずは段ボールが必要なのだからと思い準備をするのだが、

結局何も出来ないままに引っ越し前日になる。

 

それでも出来ない。わからない。

 

やかんを手にしてこれは何なのかを考える。

捨てるのか、送るのかではなく、何をするものなのかを考える。

何もわからないのである。

焦りばかりが出てきて、どうしたらいいのかもわからずにただ涙が出てくる。

成人になってこれ程までに涙が出てきた事はない。

でも、退去立ち合いの時間は刻一刻と迫ってくる。

実家で必要がないような物でも、これが何かも解らない為にとりあえず全部段ボールに詰めて送ることにした。

布団や毛布に関しては、捨てるのにはそれ相応の手続きが必要なために前日ではどうしようもない。だからこれも送るしかないと思い朝一に圧縮パックを買いに行った。

しかし、買いに行ってる間にガスの閉栓の立ち合いが出来ずに迷惑を掛けた。私が住んでいた部屋はオートロック式のマンションで外部の人が入れないためにガスの閉栓に立ち合いが必要だったのだがそれが出来ずに迷惑を掛けてしまった。

忘れていたわけではない。

どうするべきか判断を誤ったのは事実。

立ち合いをしてから、買いに行けば良かったのである。

待ってる間に他の事をしていれば良かったのである。

だがそれができない。

この問題を片付けないと次の問題に進めない思考をしていたのである。

他の問題も山積みにあるのに、これだけの事しか考えられないのである。

迷惑を掛けたのはこれだけではない。

結局は退去立ち合いの時間にギリギリ間に合わなかったのである。

荷物を適当に段ボールに入れて、入らないものはゴミ袋に突っ込まれた状態で立ち合いの時間が来てしまったのである。

その為に、立ち合いをしながら荷物を外に出して、ゴミは管理人の人に捨てるようにお願いをすると言う状況になってしまった。

本来は部屋を空っぽにしないといけないのに、部屋にはまだ荷物とゴミがある状況。

最後の最後まで誰かに迷惑を掛けて部屋を後にした。

大きい段ボールが5つを近くの郵便局まで運んで手続きをして、空港に向かい地元に帰る便に乗った。

座席に座り、離陸し、雲が見下ろせる状態になったときに、

 

全てが終わった。

 

と感じた。

 

そして、今でもあの時のように何も考える事が出来ない状況に関して恐怖を感じる。

すぐにその状況に陥ってしまうのでは?と考えてしまって行動に移せなくなってしまっている。

その事実を知りたくなくて逃げている。

 

実家に帰省し思う事。

2018年5月中旬に地元に帰った。

実家に着き、両親と共に食事をしている時に私はハッキリとわかった事が一つあった。

両親から逃げてる。

そう自覚したのである。

一人暮らしをしている時に何かから逃げている様な感覚はあった。

それが何なのかはわからなかったがこの時になって何故かわかった。

それは、学生時代からなのかを考えてみた。

しかし、学生時代の事が上手く思い出せない。

 

思い出せるのは、

友達からお前に良いと思える性格はないと言われた事。

物事を深く考えない人間。

幅広い友好関係を築けていない。

 

そして、物事を深く考えない事実から紐解いてみると、深く考えられる余裕がなかったのではないかと思った。

両親は不仲で毎日ではないにしろ、言い争いが酷かった。

父親は毎日お酒を飲んでいて母親と言い争いをする日があり、母親が家を出ていく事も度々あった。

部屋に居てもその言い争いは聞こえてくるわけであって、気にしないようにしていた。

というか気にしない様にする事が精一杯である。

家では両親の言い争い、学校では対人関係・勉強で考える事がある。

深くまで考える余裕と場所がない。

その場しのぎの発言や行動に関してしか考える余力はなかったのではないだろうか。

その為に良い性格がないと言われ、幅広い友好関係を築く事も出来なかったのではないだろうかと今になってそう思う。

 

それから、神経発達症は突然に発症するものではない。

生まれながらにしてある症状なのだが、何故に今となって判明したのだろうか。

両親は私の何を見ていたのだろうかという疑問が出てくる。

その事に関してはどうしても悪い考えばかりが出てくる。

私の事など見ていなかったのではないだろうか。

父親は仕事に必死で、母親は家事、仕事、父親の相手に必死になって。

中学生の頃からか私と両親との会話などない。

父親は無頓着、母親は何か不平不満があれば私に言ってくる。

何でこうしないの?ああしないの?と。

そして私はうんと空返事。

そんな事から私は必死に考えないようにしていたのではないだろうか。

わかるのは考える事と両親から逃げいていた。

 

それから幅広い友好関係を築けないと自覚もしたわけだが、たまにやり取りをしていた人達は上手く友好関係を築けていると言えるのだろうかという疑問も出てきた。

良い友好関係が築けているのか否かを考えてみた所に出てきた答えはNoだった。

苦しめられた思い出ばかりが出てくる。

それで我慢をしていた。

それが爆発したんだろうと思える時期がある事を思い出した。

その時期は色んな人に迷惑を掛けたと思う。

 

その時期は私が20歳の時に兄が亡くなった後の話である。

その時を境に気を遣うのはもう辞めようと考えたのである。

そして、気を遣わないで良いと思える人ばかりと連絡を取るようになったのだが、今になって思うのがその人達と言うのが今まで我慢をする事が多かった人達なのである。

こうされてきたんだから、別に自分もやっていいでしょみたいな考えの元に色々とその人達にやった。

まぁもちろん嫌われた。

文句を言われるよう事が多くなった。

それだけ沢山の迷惑を掛けたんだなと思う。

 

両親の事や友人関係の事を色々と考えて行くとどんどんと追い詰められていくような心情になってきた。

私はどうしたらいいのだろうか。

受診するつもりはなかったのだが、追い詰められてその事ばかりが頭をぐるぐると答えの見つからない問を考える状況に陥ったために地元でも精神科に通おうと思い予約を取る。

 

 

鬱と診断

2018年7月中旬に帰省して初めての精神科を受診。

そこで、私は必死に現状を伝えた。

人が怖い。

判断能力が落ちている。

どうしたらいいのかわからない。

という旨を伝えたと思う。

 

そこで、家族構成や職歴等の問診をして、医師からはうつだと言われた。

その時は予想外だった。

私としては話を聞いてもらい、神経発達症の事や考え方に関して色々と相談をしたいと思っていたのだが、話はうつをどうするかという話ばかり。

そして、うつを克服していくためにはどうするのかという話をしてくる。

全く会話は出来ていなかったと思う。

話を展開させる事なく、わかりましたと言うばかりだったと思う。

抗うつ薬とここでもADHD用の薬であるコンサータを処方されて終わった。

家に帰って考える事は自分から話をしていかないとダメなんだと考え、2回目か3回目の受診の時に考えている事を必死に伝えようと話をしたが返ってきたのは自分が意図しないような返事だったことを覚えている。

その出来事があり、自分はまともに会話が出来る状態ではないのだと思い医師の処方した薬を飲み続けてまともに会話が出来るような状態になったら話そうと考え大人しく処方された薬を飲んでいこうと思った。

 

そして、今に至る。

あれから1年経っている。

未だに自分の状況が掴めないでいる。

 

 うつとは何なのか、神経発達症とは何なのか未だにちゃんと理解できていない。

生活リズムも整わないし、自分が抱えている問題に関しても処理が出来ていない。

つい最近にも精神科に行ったのだか、生活リズムが整わない、やる気が出ないと言う事で新たにインチュニブというADHD用の薬を処方された。

 

何故それが処方されたのかもいまいちわからない。

どんな効果を期待するべきなのかもわからない。

 

上手く医師との意思疎通が出来ていないと感じる。

そして今もどうしたらいいのかわからないでいる。

 

両親とは不仲なために何も話をしない。

今では友人は居ないと思っている。

迷惑を掛けた人達が居ると言う話をしたが、その人達は小学生から高校まで同じ学校の幼馴染とも言えるかもしれないが、不思議と謝って仲直りをしたいとは思わない。

過去にされた事に対してやり返した所に嫌われたとの認識をしているため、このまま縁を切れても何とも思わない自分がいる。むしろ切りたい。今はLINEの複数人トーク?(参加するのに承認なしのトークルーム、強制的に入るトークルーム)に入っている状態であるのだが内容は未読状態。タイミングを見て抜けてそのままその人達をブロックしようかどうしようか考えている状態でもある。

こう考えるのはうつ状態だからなのかは分からない。

でも、現状がどんなに苦しくても話をしたいと思う人が居ない為に、友人はいないのだなと思う。

 

医師と話す以外に私の口は開くことがない。

どんどんと言葉が出てこない危機を感じている。

でも、どうしたらいいのかが分からない。。。

 

 

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