毎日を生きる、そして活きる

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発達障害。うつ。無職。引きこもり。日々の思考や行動を書いた日常系がメインで社会復帰に向けての奮闘ブログです。その他発達障害関連や処方薬レポート、プログラミングなどの記事を書いてます。

【メンタルヘルス】4日間苦しみの最中で人生を振り返る。体験談を交えた自分の感情を認識する大切さの分析と考察

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9月20日から9月23日までの4日間は凄い苦しみの中にいた。

身体的な症状としては、

  • 倦怠感
  • ふらつき
  • 動悸が激しい
  • 異常な眠気
  • 腹部の違和感
  • 食欲の減退
  • 下痢
  • 体重減少

などの症状を感じていた。

精神的な症状としては、

  • 気分の落ち込み
  • 孤独感
  • 無力感
  • 虚無感
  • 劣等感
  • 寂しさ
  • 絶望
  • 嫌悪
  • 嫉妬
  • 恨み
  • 怒り

などの感情を感じていた。

しかし、9月24日の朝に目覚めると不思議とこれらの身体的症状や感情は無くなった。
気持ちが落ち着き、頭の中がスッキリとして身体が軽くなったような気がした。


何故こうなったのかは分からないが、
この時に感じたものを文字に起こしてまとめて置くことにする。

当日は明日に影響する。
今週は来週に影響する。
今月は来月に影響する。
今年は来年に影響する。
10代は20代に影響する。

私は10代の時は自分について何も考えてこなかった。
だからこそ、今の20代に影響を及ぼしているのだと感じた。

 

10代の頃の自分の感情と向き合わない体験談

10代の私は、
怒られているのに笑っていたり、
馬鹿にされているのに嬉しがったり、
何かが可笑しかった。

自分の感情と向き合うことはしないで、
自分にどんな感情が湧き出るのか考えようともしない。
相手が笑っていたり、楽しんでいるようであれば何でもよかった。
何か感じるなと思いつつも知らんぷり。

「感」はあるが「情」がない。

感じる心に働きかける意識がない。

嫌な事を言われようが笑顔で笑ってくれそうな事を言ったり、
誰かと本気で感情のぶつかり合いをする事はしてこなかった。


自分に寄り添う心を持たずして生きてきた。
なので、相手に寄り添う心を持った会話など出来るはずがない。

高校時代に「お前に良い所はない」と複数人に言われた事がある。
もしかしたら、感情のない発言や行動をしていたために感情がない人に思われていたのかもしれない。
当時はもちろん気が付いていないし、今になって思い当たる出来事を思い出すことはできない。

今思う一番の問題点は私はその発言を気にしていなかったし気にしてこなかった。


社会人になっての自分の感情を知らない体験談

社会人になって人間関係における困難が生じた際では対応がわからなかった。
上手く人間関係が構築出来ていない事は察することができる。
しかしながら、何が原因なのか分からずにいた。

悶々と一人で悩むばかり。
助けてほしいのだが、何に対して助けてくださいと言えば良いのかわからない。
自分が何に困っているのか分からないのだから、相手に説明もできない。
だから声を発して「助けて」を言えない。

今なら少し解るかも知れない。
自分の感情を上手く認識できていなかった。
そして、自分の感情を上手に表現する事もできていなかった。

生意気と言うべきなのか。
天邪鬼と言うべきなのか。
素直になれないと言うべきなのか。
そんな態度を取っていたと思う。

だからこそ、相手方は私の対応に困っていたのかもしれない。
相手方が望んでいる様な返答はなく、私の感情や感性が読み取りにくい為にどう対応して良いのか分からずにいたのではないだろうか。

実際に私は返答する際に考えていたのは「この返答だと会話が広がるかな」「笑ってくれるかな」みたいな考えで返答していたことを覚えている。
私の感情を添えたような返答をしようと考えた事はない。
どこか機械的な返答をしていた。

私自身が自分の感情にアプローチできないのだから、相手方が私にアプローチできるわけがない。

機械的に返答しているのだからどんな発言をしたら私は
喜ぶのか、
困るのか、
怒るのか、
悲しむのか、
分からないのだから相手は私に対して発言を避けるようになる。


離れていく訳だし、孤立もしていく。
それでも、「助けて」の声はだせない。

そして、どんどんと異常をきたす。
食欲がなくなる。
考える事ができなくなる。
声がでなくなる。
思い出せなくなる。
何も分からなくなる。


ここまで来たらもう遅い。
喋り掛けられても返答ができない。
仕事やその他の作業ができなくなる。

色んな問いが頭の中でよぎるのである。
この発言をしていいのかという問い。
対応策を考える前に次の問い。
発言する前に次の問い。
問いに対しての問い。

一つも解決できずに色んな問いが頭を駆け巡る。
やがて、頭の中は真っ白になる。

そして、はっきりとわかるのは、
『恐怖』
だけ。


そして、
発達障害と診断されて、
適応障害と診断されて、
鬱と診断されて、
引きこもる。


鬱と診断されて引きこもり中の体験談

鬱と診断されて、引きこもり始めの時に高校時代の「お前に良い所はない」発言を思い出した。
そして、ずっとその発言が頭の中から離れなかった。

何故、当時の私はこの発言を気にしていなかったのか。
何故、今になってこの発言を思い出したのか。
何故、今になってこの発言に苦しめられるのか。
何故、頭の中から離れないのか。


「お前に良い所はない」発言の想い出にはとても苦しめられた。
だからこそ、他人と上手くいかなかった。
だからこそ、恋人ができなかった。
だからこそ、独りになった。

よく遊んでいた友達だったと思う人も、
独りよがりの考えで相手はそう思っていなかったのかもしれない。

過去と現在の
私は独り
これからの未来も
私は独り

そんな考え方ばかりをしていた。


しかしながら行動は違っていた。
現実世界の対面で誰かと話すことは怖くて出来ないために、
ネット上で誰かと話をしていた。
そして、ネット上で仲良くなった人と連絡先を交換して
ほぼ毎日やり取りをしていた。

独りになりたくない行動ばかりをしていた。
そして、独りになりたくないような発言もしていた。

相手は困っていたのかもしれない。

そして、承認欲求が強い言動をしたのである。

その人を独占したがった。
その人からもっと連絡が来てほしい事を望んだ。
その人からもっと頼ってほしい事を望んだ。

自分の考えを理解してほしい事を望んだ。
自分が役に立つ存在である事を認めて欲しいと望んだ。
自分を大切に扱ってほしい事を望んだ。

本来
私が私の存在を認めるべきところを
相手に私の存在を認めるように責任転嫁をしていた。

自分に対して無責任になっていた。
しかしながら無責任だという事に私は気が付かない。
独りになることから逃れるのに必死なのである。

時には人間としての存在ではなく、男性としての存在を確かめようとした事もある。
男性としての生命を授かってできた男性性器を使って存在を確かめようとしたのである。
Twitterでそんな事が出来そうな人を探していた。
しかしながら、出来るはずもなくそんな気も薄れてアカウントは削除した。

何でもよい。
自分の存在を知れそうだと思えば出来る範囲で行動をした。


私の存在がどこにあるのか一生懸命に探していた。

内部ではなく外部に働きかけていた。

どこを探しているのかも私は分かっていない。

手当たり次第に探していた。


自分の感情を認識する大切さの分析

それが今やっと解った様な気がする。
何かを感じる事に働きかける事をしているのだと。

「感」に対して「情」が生まれた。

感じる心に働きかける意識がある。

今になって感情というものが何なのかを認識できるようになり、
感情について考える事ができる様になった気がする。


「お前に良い所はない」発言は、
私の今最も考えるべき事柄をずっと問題提示していたかのように感じる。

私の

心なのか
精神なのか
脳みそなのか
思考なのか

何が私に訴え掛けていたのか詳しく説明が出来ないが、
一般的によく言われるところの、

『心のメッセージ』

に私自身がやっと気が付く事が出来たのではないだろうか。


自分の事を分かっていたつもりになっていたのかもしれない。
寂しい人間である。
嫉妬深い人間である。
独占欲が強い人間である。
何も出来ない人間である。

そんな事は自分でも知っていた。
そして、こんな自分の事を相手も理解して受け入れてほしい。
こんな考え方ばかりをしていた。

そんな考え方をしていると相手方には負担が大きい。
暗い人間であるし、
重い人間であるし、
無責任な人間である。

すると離れていく人はいる。
また独りになる。
寂しくなる。
別の人を探す。
自分の存在を認めて欲しい発言をする。
そして、繰り返す。

何も解決しない。


自分の感情を知っているだけで認識はしていない。

相手に受け入れてほしいという考えがある時点で、
自分は自分の感情と存在を受け入れていない。


自分の感情を認識して初めて自分の感情を確かめる行動ができる。


自分の感情を認識するための考察

自分の「感情を知っての行動する」ではない。
自分の「感情を認識して行動する」が大事なのではないか。
認識とは物事を見分けて、本質を理解する事である。


寂しい人間である。
だから、もっと相手してくれではない。


寂しい人間である。
なぜ寂しい人間と自分は受け取るのか・感じるのか。
独りだからである。
なぜ独りだと寂しいと感じるのか。
誰とも話をしないからである。
なぜ誰とも話をしないと独りで寂しいと感じるのか。
自分の存在が分からなくなる。

では自分の存在を確かめるにはどうすればいいか。
誰かの存在を知ればいい。

だから、貴方の事をもっと知りたいから相手してほしい。

そんな気持ちで会話をするのは大事ではないだろうか。


そうすると、寂しいから相手をしてくれという事は無くなるのではないだろうか。
寂しいから相手をしてくれの意識が強いと
自分の意見を言い、
自分の事を受け入れてほしい欲求が生まれて、
自分の存在を認める責任を相手に擦り付ける事になってしまい、相手方に負担の大きい会話と関係性になってしまうのではないだろうか。

もし、自分の寂しい感情を知りそれが自分の存在を確かめたい事だと知れば、
相手の存在を確かめるような事を言い、
相手の事を受け入れる心ができて、
相手の存在を知り比較して自分の存在も分かり、寂しさを感じる事は無くなるのではないだろうか。
そして、それはお互いに気持ちの良い会話が出来て長期的な人間関係を続ける事もできるのではないだろうか。


それが
自分の感情を認識すること、
自分の感情を受け入れるということ、
自分の存在を知るきっかけになること、

そう感じるし
これからそうしていきたいと思う。


終わりに

何故かは分からないのだが9月24日に上記で説明してきた、

感情を認識する事、
私の存在を自分で認める事、

について解ったような気がしたので体験談も交えながら説明した。


これにより、
今までの苦しみが嘘の様に無くなり、
気持ちが軽くなり、
身体が軽くなり、
頭の中がスッキリしている。


そして、本記事の内容が誰かの参考となり何かしらの気持ちが晴れるようなことがあれば幸いだと思います。